対面した祖母はとても綺麗な顔をしていた。亡くなったのが早朝5:00だったので、家族の誰にもに看取られることはなかったのだが、とても安らかな顔をしていた。祖母が「鬼籍」に入ったことよりも、『天寿』を全うできたことで、特に悲しみという感情はなかった。
翌日、葬儀は多くの参列者があり、祖母のひととなりが感じられた。葬儀直前になり、ようやく実感が湧いてきた。もう祖母に会うことはできないんだと。
それにしても棺の中の祖母の顔が昨夜にも増して綺麗に思えるのは何故だろうか?
葬儀が終わり、祖母は小さな壺の中に...
従姉妹たち(10歳以上若い)の子供たち、全員5歳を筆頭に1歳までが、恐らく今日の意味をわからずはしゃいでいた。当然である全員祖母がホームに入った後で生まれたのであるから、それでいい。ここで人の「生」と「死」が交錯して、命が次の世代に受け継がれていく、そんなことを感じた。
おばあちゃん、本当にありがとう。
遺った僕らは、特に僕は、これからもしっかり生きていくよ。
最近出来たらしい葬儀場 広くてキレイだった |
行きの新幹線から見えた富士山 |
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